柴犬こちゃの幕末・維新史跡探索ノート

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zoom RSS 関口芭蕉庵、胸突坂、永青文庫、旧田中光顕邸(蕉雨園)、和敬塾へ

<<   作成日時 : 2010/12/20 22:17   >>

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午後から晴れてきて、今日はかなり蒸し暑い日でした。
こういう日は日陰を探しながら歩くのがポイントのようです。

まずは、神田川沿いにある関口芭蕉庵をたずねました。

関口芭蕉庵は、その昔、松尾芭蕉が神田上水の改修工事
に携わったときの住居跡です。中には芭蕉堂や庭園や池
などがあります。場所は、文京区関口2-11-3となります。
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そのあと、胸突坂(むなつきざか)を上りました。
30メートルほどのかなり急な坂です。
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この辺はかなり見るべきものが集中しています。
坂をのぼりきったところに建物が三つあります。

場所は文京区目白台、関口あたりです。

左側に永青文庫があります。

永青文庫は旧熊本藩主細川家の下屋敷があった場所、今
は細川家の美術品を常設展示している美術館です。
約700年かけて集められてきた美術品が約6000点あるそう
です。(『細川家の700年 永青文庫の至宝』新潮社)

展示室は意外とこじんまりしています。
それがまたいいですね。

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元総理大臣の細川護熙(もりひろ)氏は、この建物にかつて
祖父の護立氏と一緒に住んでいて高校、大学に通っていた
とか。

入り口をはいった右横に別館のサロンがあります。
コーヒーを飲みました。とてもいいふんいきです。
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そして、道路をはさんで文庫の反対側が蕉雨園。
旧田中光顕(みつあき)邸です。
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田中光顕(のち宮内大臣)は土佐藩士。
龍馬が殺されたとき、現場にかけつけ中岡慎太郎から事件
の経緯を聞きだした男です。

司馬遼太郎曰く、
「いわば二流の志士であるが……」
(『維新風雲回顧録』(河出文庫)田中光顕著の序)。
そして、
「維新の志士では三流に近かったが……」
(『幕末』(文春文庫)の「浪華城焼打」P481)。
とまあ、きびしい。

でも維新後、新政府に出仕し、大出世。
するとこういう立派な家に住めるんですね。
蕉雨園は非公開ですが、門構えが立派でつい中に入りた
くなります。

永青文庫の隣は、学生寮の和敬塾(旧細川公爵邸)です。
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この和敬塾には、かつて作家の村上春樹が入っていたとの
こと。

帰宅してからひさしぶりにページをめくってみました。あった、
あった。

「昔々、といってもせいぜい二十年ぐらい前のことなのだけ
れど、僕はある学生寮に住んでいた。……その寮は都内の
見晴らしの良い高台にあった。敷地は広くまわりを高いコン
クリートの塀に囲まれていた。」(『ノルウェイの森』P20)

なるほど、その学生寮がこの和敬塾のようです。
ただし、村上春樹は寮の方針と肌が合わなかったらしく、2
年ほどで出たようですが。

帰りは、胸突き坂を下りました。
通りすがりの女の人が、ホント、この坂、名前通りの坂ね、
と言いながら上っていきました。(わたしも納得)

そのあと、神田通り沿いの桜の木の下の日陰を明治通り
まで歩きました。

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