柴犬こちゃの幕末・維新史跡探索ノート

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zoom RSS 清水谷家の椋(むく)と蛤御門

<<   作成日時 : 2011/03/30 22:45   >>

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ひろ〜い京都御所を歩きました。

猿が辻や建春門や建礼門の前を通って蛤御門の近く、その
前に大きな椋(むく)があります。
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樹齢300年の大木です。
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この木、このあたりが公家の清水谷家の屋敷であったことか
ら「清水谷家の椋」(しみずだにけのむく)と呼ばれているとか。

そして、この木を何より有名にしているのは、1864年の蛤御
門の変のとき、長州藩の遊撃隊総督の来島又兵衛がこの木
の近くで討ち死にしたことでしょうか。
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来島又兵衛。
なんか憎めない人なんです、この人。
幕末の志士といえばたいがいが若い人ですが、彼はまさに
中高年の星。

蛤御門の変では出兵を強く主張し、自ら先祖伝来の甲冑を
まとい兵を引きいて上洛したのが48才。

そして、椋の木の近くで壮絶な死をとげます。
とまあ、そんな史実を頭にいれながら、この木を眺めるとみ
ょうに愛着が沸いてくるから不思議です。

そして、蛤御門へ。
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後ろには「清水谷家の椋」が見えます。
とにかく、ひろ〜い京都御所でも、ここを訪れないと話になり
ませんよね。

この門のもともとの正しい名前は新在家御門だとか。
めったに開かれなかったらしいですね。

ところが、1788年3月(天明8年1月)に、いわゆる天明の大火
が発生、門が久しぶりに開かれた。

その様子が、焼けて口を開く蛤にたとえられ、この名前があ
るんだとか。

かくして、1864年、蛤御門の変(禁門の変)が勃発。
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会津、桑名、薩摩連合軍と長州藩との間で激戦が繰り広げら
れ、今も梁や門扉に弾痕が歴史の刻印のように残っていると
はすごいの一言につきます。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは♪

私のブログに来て下さってありがとうございます。^^
京都もたくさん散策されたのですね。
京都御所は私も行ってみようと思っています。
来島又兵衛さんは私も本を読んだとき、その戦いぶりがかっこいいなと感じました。
当時の48歳の年齢で槍の名手って凄いですね。

写真がとても綺麗に撮れていますね。

BIGLOBEのブログは使いやすいですか。
みーおでん
2011/04/05 19:46
みーおでんさん、コメント、ありがとうございます。
写真のことも、おほめいただきありがとうござい
ます。
BIGLOBEのプログですが、他のを使ったことがない
のでよくわかりませんが、使い勝手はまあまあで
しょうか。
全体をできるだけシンプルにして文章と画像だけ
の構成にしています。
いちゆう
2011/04/05 21:34

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