柴犬こちゃの幕末・維新史跡探索ノート

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zoom RSS 清河八郎 大江戸線沿線ぶらり史跡めぐり

<<   作成日時 : 2012/03/13 22:17   >>

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3月のある日、地下鉄大江戸線に乗って都内の清河八郎関連
の史跡をめぐりました。

"新撰組中心史観”とやらにたてば、清河八郎の評判はいまい
ち。

彼の人生の後半といえば、

文久3年、浪士組をつくり、ある奇策とともに、将軍警護の目的
で京にのぼります。
そして、壬生の新徳寺で、奇策たる尊王攘夷決行を突然となえ
ます。これにはみんなびっくり。
「おっと、それはダメ!」ということで、江戸へただちに戻され
ます。

江戸へ戻された危険人物、清河は、その年、赤羽橋で佐々木
只三郎らに殺されます。

けっきょく、浪士組のうち、京に残った連中は会津藩預かりの
新選組に。
江戸に戻った連中は庄内藩支配下のもと新徴組に。そして、
江戸の警備をおこなう。

かんたんいえばこういうことでしょうか。

             *
【春日駅】
まずは、地下鉄大江戸線の春日で下車しました。
東京ドームが目の前です。
富坂をのぼっていくと、左側に春日の局の像が見えます。

そして、伝通院前の交差点を右に曲がれば小石川伝通院で
す。(文京区小石川3-14-6)
ここは、浪士が集められた場所です。
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本堂です。
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集合場所となったのは塔頭、処静院(しょせいいん)。

処静院は、火災で焼失し今はないようです。
そのかわり、説明板の横に、「不許葷酒入門内」(くんしゅさ
んもんにいるをゆるさず)と書かれた石柱が残っています。
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これは、禅宗のお寺の門前によく見られる、境内と俗界を区
切る結界石と呼ばれるものだそうです。『お寺さん入門』(渋
谷申博 洋泉社)

また、葷酒(くんしゅ)とは“ニラやネギなどのにおいのきつい
野菜”と“酒”のこと。これらは持ち込み不可、というわけです。

そして、さらにその横に、処静院の住職琳瑞(りんずい)上人
のことが書かれた案内板があります。
多くの志士と交流した僧だそうです。
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入って左奥の墓地に清河八郎の墓があります。
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左横に、愛妻、(おれん)の墓が並んでいます。
阿蓮は、はしかにかかり、小伝馬町の女牢から庄内藩の揚
り屋(牢房)に移され、文久2年閏8月、そこでなくなっています。
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              *

【赤羽駅】
さらに大江戸線を乗り継いで、赤羽橋駅でおります。
地上に出ると、すぐそこが赤羽橋です。(港区三田1-1)

文久3年4月、幕府の刺客・佐々木只三郎らによって清河
八郎が殺された場所付近です。
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赤羽橋の上は、都心環状線が走っています。
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             *

【飯田橋駅】
そのまま、大江戸線で飯田橋へ向かいます。

駅前から目白通りの右側の歩道を九段下方面に歩いていく
と新徴組屯所(冬青木坂屯所)跡の碑があります。
(千代田区飯田橋4)
画像















ふたたび飯田橋駅に戻ります。

【蔵前駅】
そして、今度は大江戸線蔵前でおります。
そのまま、雷門仲通りを浅草寺に向かいます。
仲見世の右側が本坊、伝法院です。
新徴組の詰所がにここにあったようです。
(台東区浅草2-3-1浅草寺内)
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              *

浪士組以降の清河八郎のマイナスイメージ(あるとすればで
すが)をここちよく払拭してくれるのが、『西遊草』でしょうか。

浪士組として上京する8年前の安政2年(1855)。

清河八郎がお母さんと一緒に善光寺、伊勢参り、関西、四国、
中国などの日本各地を回ったときに書いた旅行記です。

読むと、あの清河八郎とはべつの、母親想いのやさしい息子
としての清河がイメージできます。  

こちらは、小山松勝一郎氏の校注入りで原文(岩波文庫)で
読むことができます。
画像 


















私事ですが、私の実家は東海道53次のひとつの原(はら)に
あります。臨済宗中興の祖といわれる白隠を輩出した町です。
松陰寺があります。

実家は今も昔の(旧)東海道沿いにあります。

幕末のころ、家の前を、近藤が、土方が、龍馬が、高杉が、
西郷が通ったはず。そして清河八郎も。

彼はうれしいことに西遊草で、

「吉原より三里六丁にて原駅にいたる。此辺すべて砂路に
て松林左右にそびえ、わらぢのうけ、よろしき事無類なり。

原の宿は草屋のみにて、よろしからぬ宿なれば、ただ富士
の山を真正面に見るのみなり。されども足柄山のさまたげ
ありて、全体は見ることならず。富士の真正面は吉原ほど
よろしきあらず。」(巻の九)

とわが故郷を描写してくれています。

わらじの踏み具合もよかった砂路も、今はアスファルト道
路にかわりました。
松林は今もあります。(千本松原といいます)
富士山は今ももちろんよく見えます。
清河が富士山の全体(右側の裾野の一部)が見えない、と
いっているのは本当です。
ただ、さまたげている山は足柄山ではなく、たぶん愛鷹(あ
したか)山でしょう。

なあんて、ある実感をともないながら読むと、西遊草にさら
に親しみをおぼえます。

こちらは、同じ小山松氏の現代語訳版)(一部抄訳)(平凡
社 東洋文庫)です。
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ただし、残念ながら2冊ともすでに絶版になっています。(2012年
3月現在)

また、小説では何といって藤沢周平のこの作品(文春文庫)でし
ょう。清河八郎が勉強家だったことがよくわかります。
画像

















清河の心理がうまく表現されていています。

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2012/03/16 11:55

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