柴犬こちゃの幕末・維新史跡探索ノート

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zoom RSS 京都三条大橋_新選組池田屋事件の刀傷

<<   作成日時 : 2012/12/14 21:54   >>

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ホテルから、朝の散歩をかねて三条大橋にある新選組の刀傷を
見にいくことにしました。

前回は、傷のある擬宝珠(ぎぼし)の位置をいい加減に覚えて行
ったので見つけることができませんでした。今回はしっかり頭にい
れていきました。

その前に、京都市役所の南にある本能寺へ行きました。
(中京区寺町通御池下る下本能寺前町522)

早朝のせいか、人は誰もいません。
画像














本能寺は本能寺の変で焼けたのち、天正15年(1587)に今の場
所に移ってきたとのことです。

本堂の裏手に、信長の三男信孝が建立した信長廟がありました。
画像













                *

本能寺のあと、三条通りに出、高瀬川にかかる三条小橋に行き
ました。(中京区三条通)

その名のとおり、数歩で渡り切る小さな橋です。
画像















元治元年(1864)6月、池田屋事件のあった夜、近藤勇率いる
新選組が三条小橋に着いたのが四つ時(午後10時ごろ)。

画像手前方向の先に池田屋騒動之跡碑があります。

川端タ三条小橋北側ニテ池田屋ト申旅籠屋アリ、右ノ内ニ長州
人居ル趣。『浪士文久報告記事』

ということになります。

池田屋事件とは関係ありませんが、橋の反対側に「佐久間象山
先生遭難之碑、大村益次郎卿遭難之碑」の案内石碑≠ェあ
りました。
画像














この二人が実際に遭難にあったのは、ここから高瀬川沿いを北に
行き、御池通をわたって数十秒のところのようです。
そちらに立派な碑がふたつ仲良く並んであります。(中京区木屋
町通御池上ル西側))

この付近は高瀬川を中心に幕末史跡のメッカですが、今日はその
まま三条大橋をめざしていきます。

                *

ようやく、三条大橋につきました。
ここの擬宝珠に、新選組がつけたといわれる刀傷があるとのこと
です。

あの黒ずんだところかな。 
画像














近づいて、資料と照らし合わせてみます。お、そのようです。
場所は、三条大橋南側西詰めから二つ目の擬宝珠です。

拡大すると、
画像














池田屋事件といっても、斬り合いは池田屋周辺の広い範囲で行
われたとのこと。だから、ここに傷が残っているのでしょうか。

傷は、右から左斜め下に、つまりは橋の内側に向かって斜めに
残っています。

三条小橋商店街振興組合の案内板によると、北側西詰めから
二つ目の擬宝珠にも、同様の傷があるとのことです。

そういうことで、今回、朝の散歩で目的をはたすことができまし
た。

三条大橋の欄干から鴨川の流れを眺めていると、気持ちがい
いです。
画像















この川はじつに多くの歴史的事件に立ち会ってきたのでしょう
ね。
にもかかわらず、その朝も何もなかったように穏やかに流れて
いました。

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