柴犬こちゃの幕末・維新史跡探索ノート

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zoom RSS 京都三条駅南_勤王ばあさん小川亭跡

<<   作成日時 : 2012/12/26 22:57   >>

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三条大橋を渡ってから、小川亭跡を訪ねました。

小川亭とは、「勤王ばあさん」こと「てい」が女将として働いていた
旅館の名前です。

司馬遼太郎の小説『新選組血風録』(中公文庫)に、「三条磧乱
刃」(p345)という話があります。その中に小川亭が出てきます。

六番組組長井上源三郎と新入隊士国枝大二郎が、尊攘浪士に
剣術をけなされた事件をきっかけに、小川亭に切り込みをかける。
そんな話だったでしょうか。

                *

京阪三条駅から、縄手通方面に歩いて行きました。
通りの端に、京阪三条南ビルという建物があります。
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事前の資料によると、あの白いクルマの裏側あたりに跡の碑が
あるようです。(東山区縄手通大和大路下ル西側新五軒町)

行ってみると、ひっそりと、ありました。
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横に説明板があります。
曰く、

「小川亭とてい女

京都縄手通三條下る小川亭の老主婦てい女は、勤王婆さんと
して有名なり。

小川亭は、偶々、肥後藩邸より其離れ座敷が鴨川一帯を見晴し
眺望宜しきを以て、勤王討幕の謀議處として使用せられ、小川
の後家二人は其世話をすることとなれり。

當時同家へ出入せる武士は、住江甚兵衛、川上源齋、轟武兵
衛、宮部鼎蔵、山田信道、高木元右衛門、藤村紫朗、桂小五郎、
平野次郎等にて、後年、國臣の銅像を故郷に建設する時、てい
女は肖顔の檢證役となれり。

維新後は娘おはると共に旅館を營みたりしに、勤王婆さんを慕ひ
て投宿するもの頗る多く、大正十二年七月十日九十歳にて死亡
せり。」
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                  *

手元に、戦前の京都史跡の案内本、『維新の史蹟』(大阪毎日
新聞社京都支局編 星野書店, 1939)というのがあります。

その中の「勤王志士會合の小川亭」(p131)によると、

志士たちの面倒を見ていたおていさんに侠気があったのはも
ちろんのこと、さらに、母親のおりせさんも、一層の任侠に飛
んだ頑張り屋で、中風を患いながらも、台所に座り込んで口
やかましく指図して家業を切り回していた、そうです。

そんな二人が、損得を離れて志士たちに親身な世話を続けた、
とのことでした。

おていさんです。
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小川亭の古写真です。(2枚とも前掲書からです)
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今の鴨川べりの風景です。
画像














小川亭があったのは、あの水色のビルあたりです。
説明板が示すように、小川亭には鴨川に面した八畳の離れ座
敷がありました。

そして、ふたたび前掲書によれば、
万一の場合は、鴨川の河原へ飛び出るようになっていたので、
志士の会合には絶好の場所としていつも利用されていた、との
ことです。

手前にはご覧のとおり鴨川が流れています。
眺望も抜群だったことがよくわかります。お酒もおいしかったで
しょうね。

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