柴犬こちゃの幕末・維新史跡探索ノート

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zoom RSS 横浜・井土ヶ谷事件の跡

<<   作成日時 : 2013/05/03 10:11   >>

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幕末に神奈川で起きた外国人殺傷事件として有名なのは生麦
事件
でしょうか。

今回は、それとは別のもうひとつの事件、横浜の井土ヶ谷で起
きたフランス人士官殺人事件(井土ヶ谷事件)の碑を訪ねまし
た。

事件は、生麦事件(文久2年8月21日)からおよそ1年後に起き
ました。

まずは京浜急行で、横浜から5つめの駅、井土ヶ谷で降ります。
そして、環状1号を井土ヶ谷交差点に向かって歩き横断後、左
折し、平戸桜木道路(国道218号)の隣の道を数分歩きます。

下の画像は、その道です。
画像










歩いていくと慰霊碑と庚申塚がありました。
(横浜市南区井土ヶ谷 32-1)
画像













その横に、横浜市教育委員会作成の説明板があります。
画像















説明版によると、
文久3年9月2日(1863年10月14日)の昼ごろのこと、井土ヶ谷
村字下之前でフランス士官カミュが浪人体のものに殺害された。

神奈川奉行合原猪三郎(ごうはらいさぶろう。ペリー来航時の
応接係のひとり)は下手人探しを開始します。
が、最終的に逮捕できませんでした。

横浜在留の居住外人は幕府を非難します。
また停泊中の外国軍艦は、乗組員の一部を上陸させ、厳戒
体制を敷いたようです。

そういうわけで、この事件は、山手に外人部隊の駐屯地がで
きる発端となったとのことです。
画像














幕府は謝罪使をフランスに派遣、謝罪のうえ、遺族扶助料を
支払います。

殺されたカミュは事件の翌日、現在の外人墓地に埋葬され、
墓碑も国費で建てられました。

なお、(横浜山手)外人墓地には生麦事件の犠牲者である
チャードソン
も眠っています。

              *

井土ヶ谷事件については、イギリス公使館の通訳官であった
アーネスト・サトウが手記に残しています。

「十月十四日に、新たな凶行事件が生じ、われわれの平静
を完全にひっくりかえしてしま った。

カミュスというフランスの狙撃兵将校が居留地から二、三マ
イルしか離れ ていないが、公道から大分隔たっている場所
で午後の乗馬をやっているところを凶漢に襲われ殺害され
たのである。
(中略)
私たちはこの事件以来、遠乗りに出かける際にはみな必ず
武器を携帯するか、または三、四人以上同行するようにし
た。」 岩波文庫『一外交官の見た明治維新(上)』P113

実際の事件の現場は、この碑の場所から約1町(109m)離
れたあたりだそうです。(横浜市南区井土ヶ谷下町3)

いずれにしても、外国人にとっては物騒な時代だったんです
ね。

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