柴犬こちゃの幕末・維新史跡探索ノート

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zoom RSS 山本屋の桜餅美人考

<<   作成日時 : 2017/04/20 18:14  

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隅田川の墨堤で花見をするのなら、欠かせないのは山本屋の桜
餅、といっても過言ではないでしょう。

山本屋は、今年2017年でちょうど創業300年を迎える老舗です。

山本屋(今の店名は「山本や」)へ行くには、浅草から吾妻橋を渡
って墨田区側へ向かい、渡ったところで左に折れます。
そして枕橋を渡り、隅田川の川風に吹かれながら墨堤を言問橋
方面に進んでいくと、桜橋を越えたところで店にたどり着きます。
画像

この店、享保二年(1717)、長命寺の寺男だった山本新六が、墨
堤に落ちていた桜の葉を塩漬けにして、餡を小麦粉の焼皮でくる
んだものに巻いて売り出したのが始まりだといいます。

新六がいた長命寺は山本屋の裏にあります。
長命寺は「鷹狩りにきた三代将軍家光がお腹をこわし、寺の井戸
水を飲んだところ治ったので、長命寺と命名された寺」として有名
です。

さて桜餅ですが、江戸っ子の口にあったらしく大当たり、山本屋は
かなり儲かったようです。
以来、山本屋の桜餅は、隅田川の桜の季節には欠かせないもの
なっていきます。あまりに売れて有名になり、江戸時代、こんな絵
も描かれました。
画像

「江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅」(二代広重・三代
豊国)という作品です。

二人の女性が棒にさげて持っているのは、山本屋の桜餅が入っ
た烏帽子籠。江戸時代、隅田川の墨堤にはこんな風景が展開し
ていたのでしょう。

しかし、山本屋の桜餅がよく売れたのは、おいしいからという理由
だけはありません。
もうひとつの理由は、山本屋の娘たちが美人だったからです。
つまり、看板娘である美しい娘たちに会うために、男たちが山本
屋へせっせと足を運び桜餅を買い求めたのも、店が繁盛した理
由のひとつのようです。

それでは山本屋の娘たちがどれほど美人だったのか。諸文献をも
とにまとめてみると、(@AB・・・は、山本屋の初代、二代、三代・・・
という意味です。)

 @新六(創業者=初代)

 A金太郎(@の息子)  
  
  お豊(Aの娘)
  お栄(Aの娘)

 B新六(Aの息子、初代と同じ名前) 

   お花(Bの娘)

 C・・・

  お陸(ろく)(Cの娘?)

となるようです。

まずは二代目金太郎の娘、すなわち初代の孫娘ですが、名前はお
豊といいました。
妹のお栄も美人のようでしたが、姉のお豊は「江戸名所百人美女 
長命寺」(三代豊国)に描かれるほどですから、文句なく世間が認め
る美人だったのでしょう。
画像

















手にもっているのは桜餅の籠詰めです。(籠詰は今も売られてい
ます)
安政元年(1854)3月、お豊は猿若町河原崎座の新狂言で、桜餅屋
の娘として話の中に組み入れられます。
そんなお豊は、幕閣にいた阿部正弘(老中首座、日米和親条約締
結)に気に入れられ、彼の妾になります。

次の美人はお花です。
三代目新六の娘の彼女は、三条実美や岩倉具視などの新政府の
高官と隅田川の花見にやってきたオランダ公使に一目ぼれされま
す。お花には好きな人がいたといいますが、周囲の「お国のため」
をいう声を受け入れ、泣く泣く外国人の妾になります。

山本屋の美人話はまだまだ続きます。
お陸(ろく)です。そして、彼女を好きになったのは正岡子規です。
明治21年7月、大学予備門を終えたばかりの子規は、イトコとハトコ
とともに、勉強会と称して山本屋の二階で7、8.9月を過ごします。
そこで見初めたのがお花です。子規21才、お陸16才のときでした。
画像









(前列右が子規、前列左がイトコの藤野古白、その後ろの背の高い
のはハトコの三並良(のちドイツ哲学者)。明治16年)

子規ははっきりとその想いを文章には書いていないようですが、恋
心を暗示させる歌はいくつかあります。たとえば、

  君ならで誰か手折るべきまごころこめてうつせし花の一枚
  きみならで誰にか見せんおのれだにつたなしと思ふ水茎の跡
  いはずとも思ひの通ふものならば打すてなまし人の言の葉
  物思ふ我身はつらし世の人はげにたのしげに笑ひつるかな

9月、子規は山本屋を去り、常盤会宿舎に移っていきますが、その
後も二人のあいだで文通は続いたといいます。
下の写真は明治時代の山本屋です。右側に隅田川が流れていま
す。
画像











画像中央、やや右の川沿いに、桜の木に挟まれて細長い黒いもの
が見えます。何かわかるでしょうか。明治時代の郵便ポストです。
山本屋の前にポストがあったようです。拡大した別の写真ではこん
な感じです。

画像












お陸が正岡子規と文通をしていたとするならば、お陸は店の前の
ポストから子規宛の手紙を投函したにちがいない、そんな推測もあ
ながち的外れでもないでしょう。
つまり、写真に写るポストはお花と子規を結んだポストであったか
もしれません。
 
美人を次から次へと輩出してきた山本屋。
そのせいか、根も葉もない話しも出てきます。例えば、「向島の桜餅
のおちょうさんと、妹のおきんさんが、オランダ公使館に引き取られ、
おちょうさんが公使、おきんさんが書記官の愛妾になったことは、有
名な話なんですが・・・」(篠田鉱造『幕末明治 女百話 (下)』岩波文
庫、1997年 p42)などという話がそうです。

おちょうさんってだれ?
『横浜市史稿 風俗編』(昭和6-7年、P336)によれば、おちょう(おてふ)
さんは横浜の「本町通り二丁目の商人文吉」の娘であって、山本屋と
は関係はないようです。私見ですが、おきんさんも山本屋と関係ある
とは思えません。
先に述べたお花の話が混乱しているのかもしれません。

ところで、山本屋の娘たちは普通の娘よりは多く桜餅を食べたはず
ですよね。すると、桜餅を食べると美人になるのかもしれない。こん
な仮説が成立するかもしれません。
それほど山本屋の娘たちは美しく気立てもよく、そして男たちが夢中
になったのです。

桜の季節はまた来年やってきます。
墨堤の花見に出かけたとき、山本屋で桜餅を求めることをお勧めしま
す。歴史の中にひっそり埋もれている美しい娘たちのことに思いを馳
せると、桜もよけいきれいに、そして桜餅もいっそうおいしくなるでしょう。

なお、山本屋の近くには明治になってから開業した「言問団子」もあり
ます。美人の話は聞かないものの、こちらもとてもおいしいです。

参考:
堀内統義『恋する正岡子規』(創風社出版、2013年)
稲垣史生『考証 江戸を歩く』(隅田川文庫、2003年)
伊集院静『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』(講談社、2013年)
『横浜市史稿 風俗編』(昭和6-7年)
篠田鉱造『幕末明治 女百話 (下)』岩波文庫、1997年)
『古写真に見る明治の東京 南葛飾郡編』(JCIIフォトサロン、2017年)

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